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覚えていらっしゃるかどうか。私が30代の頃、今池のサウナのプレス内見会を実施したのですが、始まる寸前に突然バケツをひっくり返したようなスコールが起き、記者の方が誰一人来ない。そこへ山家さんがスコールをものともせずいかにも漂々と現れてくださった。本当にうれしかったですね。
そんなことありましたか。記者は現場第一主義ですからね。「いつでも、どこへでも行くよ」って感じですね。
記者になるきっかけは。
本当はシナリオライターになりたかった。たまたま名古屋タイムズの校閲記者募集があって受けました。入社試験の小論文を読んだ当時の編集局長が「こいつは社会部記者向きだ」と、社会部配属になりました。
その時の小論文のテーマを覚えていらっしゃいますか。
学生運動でしたか。両者の言い分を書いて、最後に自分の考えをまとめたのが良かったようです。
最初、どうしてシナリオライターをめざされたのですか。
映画が好きなんですよ。小学生の頃、4キロ先の映画館によく自転車で行きました。
どんな映画をみられたんですか。
時代劇です。立ち回りを見て面白いなと思い、大学も映画学科へ進みました。
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記者人生の中で会得されたものは。
聞くことを覚えました。「聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥」ですね。知らなきゃ書けないことを学びました。人に読んでいただくものだから、まずは自分が知らないといけない。それから、若い頃は酒が残って、フラフラで取材出来なかったことがありました。今は違いますね。現場に行けばピシッとします。そういう性分になりました(笑い)。
新人記者の頃の失敗談はありますか。
ある事件現場へ取材に行きまして、その後、共同通信が発信した内容と自分の原稿を比べると内容が違うと、デスクから指摘。「なぜ自分の会社の記者を信じないのか」と主張しましたが、結局自分が間違えていました。
何歳の頃ですか。
25・6歳の駆け出しの頃でした。千種や守山を取材して回っている時です。
その時の結末は。
知らん顔です(笑い)。内心は「もう二度と失敗しないぞ」と思いましたね。
ベテランになってからの失敗は。
大きなミスはないです。そう言えば、最近ありました。「三重名鉄タクシー」と書いたつもりが、「三重近鉄タクシー」に。書いたつもりはなかったのに、原稿を見直すとそう書いてあるんですよね。中日新聞の記者に言ったら、「大丈夫、僕は生きている人を間違って死んだことにしたことがあるから」と言われました。ちょっと心が軽くなりました。株価に影響しないですし(笑い)。



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